柏太郎助教授


2001年度ニュートン祭パンフレットより転載。

     研究室を選ぶのに理論と実験で、どんなふうに選ぶのがいいかあまりイメージができていないのでそれについて話してもらいたいんですが。

理論と実験で一番違うのは、理論は紙と鉛筆だけで後はコンピュータを使ってやるくらい。 実験はもちろん実験の装置があって、それを使って色々実験をやってまあ解析する。そこが一番大きな違い。 だから何もないでしょ。こう、うちの研究室を見たって。机と後はパソコンしかない訳ね。それが一番大きな違いね。 多分聞きたいことはイメージとして自分は実験に向いているのか理論に向いているのか、どうやって判断するのかってことだけどさ。 それは趣味の問題がやっぱり一番大きいんじゃないかな。 例えば小さい時から何かを作ったり弄くったりするのが好きな人と、本を読んだり物理の講義を聞いたりした時に式が美しいとか思うようなたちの人とね。 そういう違いってのは凄く大きいと思うね。そういう式とか式の並びが綺麗だななんていう人はやっぱり理論家向きだよね。 僕自身も実験というか物を作ったりすることは嫌いではなかったけれども、僕は何が理論を選んだ理由かなってのを考えた時に、Maxwel方程式がわりと綺麗だと思ったなあ。 僕は東北大学にいたんだけど、僕の工学部の友達はSchrodinger方程式を見た時に震えたっつったね。 だからこういうψっていう記号だな。(Schrodinger方程式を黒板に書く) これ見た時震えたっつったもんなあ。やつはこういうのをこう鞄に書いてたよ。 だからこういうたちの人はどちらかっていうと理論やるよね。 それから僕が感激したのはオイラーの公式だね。e^ix=cosx+isinx.あの公式は感激したね。あれを初めて聞いた時には、あこれはスゲエなと。 だからテイラー展開をやればあれが証明できるってことも嬉しかったしね。 だからそういうのは多分実験屋さんと随分違うんじゃないかな。 実験やって色が変わったりとか真空蒸着やって綺麗にのったりとかに、ああいいなとか思う人はやっぱり実験に向いていると思う。

     理論にするにしても粒子系と物性系とあるじゃないですか。なぜ粒子系選ばれたんですか?

よく言うんだけど素粒子物理学っていうのはわりと今みたいなモチベーションでやっていくと自然に辿り着いちゃうもんなんだよね。 君たちに話した機会があるかもしれないけども科学哲学のなんかもう一番単純な所なわけよ。 どうしてかなって考えていくとミクロの世界に行ってそのまま素粒子物理学になっちゃうんだよね。 宇宙の始まりだとか。だからその点比較的単純な好奇心みたいなのに惑わされてるのが我々の分野みたいなもんなんだよ。 だけどもそこに色々な現象を見て、なんでこんなもんできてるんだ。 あるいは回りの物質のもう少し細かいとこ、そういう物に目を向けていくと物性物理学に行く訳でそこが違う。 工学部的なエンジニアリングまでは行かないけれども物理のアプリケーションという所での考え方が少し違う。 物性ではそういうファクターがどうしたって出てくるんだよ。 素粒子や宇宙とかは、はっきり言えばアプリケーションなんてない訳よ。 原爆ができたのは確かにアインシュタインの相対性理論が完成したからだけども、それは出てからまあ数十年でもないけれども、3,40年立つ訳ね。 我々のやっていることがそういう兵器に利用されるということが将来的にはあるかもしれないけどもそんなこと全く考えてない訳ね。 物性なら例えば中西さんとこだって、なんで交通渋滞が起こるのかその起こり方ってのがパイプの中を粉が流れていくと粉が所々で固まるとかさ。 そういう現象と結びつけて何か考えるとかね。世の中色々見てる時にそういう所にぱっと思いあたってなるほどどういうことかなって考える。 僕らはもっと単純で、はっきり言えば世の中のことなんか見とらん訳ね。地球というか世界の始まりはなんだったかその方が大事で、そういう意味では抽象的と言えば抽象的、何も考えていないと言えば何も考えていない。 ただそこに向かっていくだけ。そういうことがモチベーションでやっている訳だ。 まあ実際にはいつもそういうことを考えているかっていうとそんなことはない訳ね。もちろん。当たり前だよね。そんなこと。だからほとんどは単なる数学のある分野の所をただ計算している。そこが一番違うかな。 物性の人が学生に話をする時、彼らはなぜ面白いかって話をよくするんだよ。こういう現象があってこういうことがなぜでしょうかって、まず最初に色々例を出してそれからいろんな人の興味を引いてそこに自分たちの話を持っていく。 プレゼンテーションとしてはとても良い訳だ。 でも僕たちの分野ってのはそういう意味で非常にはっきりしているのは、プレゼンテーションってのはある意味であまり必要ない訳ね。物理をのめり込んでいったやつなら誰でもが入って来ちゃうような所だから、その点ではちょっと違うかな。素粒子だけの話だけどな。 原子核はもう少し素粒子よりは応用まではいかないけども、もう少し現実的に物事を見ている。

     やりたいと思っていることと実際にできることって随分ギャップがあるじゃないですか。そういうのってどう思いますか?

自分の能力の問題もあるし、それからこういうことやってて上手くいくのは一生のうちに2回か3回な訳ね。だけど、はっきり言って好奇心で突き進んでくわけでだけども、やった結果はほとんど上手くいかない訳だ。 だからそれは当たり前。だけども自分が面白いと思ってやってるんだから、それは後悔も何もしない訳よ。 確かに自分がやってきたことがどの程度自然がわかったかなんて言われたって、やってることは重箱の隅を弄くってるようなものでね。 何も出てこないって、悪口言われりゃそうだわさ。 別に世の中のためにはなってない訳よ。逆に俺は面白いからやってて何が悪いかと。 それは工学部というか、日本の産業なんかのベースになっているような所で第一線でやっている人達と全然違う訳ね。 あれやこれや作ることが何か意味があって、何か世の中のためになってるのとは違う。 青色ダイオードを作った中村さんなんてのもその典型みたいなもんやろう。 でも彼はモチベーションは同じ様なものだろうとは思うけどね。 まあ人によるけれども、ここで一山当ててやろうみたいな山師的な感覚を持っている人間は素粒子向かない。 こういうことをやって何か人よりも名を上げてやろうとかそういうモチベーションのある人間は我々の所には来ないね。 素粒子はそういう意味で非常に単純。ただ面白いからこれをやる。 まあおたくみたいなやつもいればさ、僕なんか非常に単純にこれがわかんねえ、これがわかんねえからこれをやるっていうかさ。 いつのまにかそうなっちゃったていうかね。そんな感じかな。 だから固体の野村君なんか場の量子論をやりたかったけども素粒子の中でやると就職がないから物性に行った。 そういうモチベーションある人はもう素粒子やんない。最初から。やりたいけれども素粒子でやるには絶対就職ないしとか考える訳ね。 そういうモチベーションの人は素粒子来ない訳よ。将来の例えば就職について、自分はこういうふうにやって後何年やったら就職できて、そういうプログラム書く様な人はここには来ない訳よ。 よく僕の所に相談に来る学生が「将来素粒子やりたいんですけども就職のことこう考えて」とかって言うんだけども、その段階で君向かないからやめた方がいいよって言う訳。 先輩見てもDoctorとって就職できない人がたくさんいて優秀な人もたくさんいる訳。それ見てたら自分がそれと比べていいか悪いか普通は考えちゃう訳だ。 そういう人は来ない訳よ。やっぱり面白いから、俺はやりたいから来る。それだけなんだよね 。わかりきっている訳ですよね。マスター2年ドクター3年経った後にどういうことになっているかっていうのはやってればわかるけど、だからといって自分の、その好奇心は抑えられないから来る訳ね。 他の分野と比べるとそういう意味では特殊だよ。 だから世の中は実力だけじゃない訳だ。物理に限らない話だけれども、どんな所に行ったって実力だけじゃ駄目な訳だ。 どんなに実力がある人だってそりゃ運が悪ければ駄目なんだよ。 運と実力である人は成功するしさ、そうじゃない人はなかなか思い通りにいかない。 まあ世の中ほとんどの人はそうじゃない人なんだけどね。 だから僕だってたまたま九州大学の助手になって今、助教授になった訳だけども、それだってほんの巡り合わせでたまたま佳かったからで僕の友達は他の分野に変わっちゃった人もいれば、物理やめちゃった人もいるしたくさん居る訳だよね。 じゃあ、僕がその中で能力が高かったかっていうと決してそんなことはない。そりゃたまたま同じぐらいの能力でも一人は駄目で一人は上手くいく訳だ。 僕より学生時代駄目だったやつがもっと出世していることもいっぱいあるけれども、そういうことでああ俺はどうだこうだって思わないのが我々のコミュニティの特徴だよ。

     大学院についての話も聞きたいのですが、大学院を選んだ時はどのように考えて大学院を選んだんですか?

まあ僕個人の問題で時代も30年も前のなるからあまり参考になるか分からないけど、その時代は君たちの想像もできないような時代で、学校になんか行けないっていうか、学校が封鎖されてて授業もないような状態だったりして、東大が僕が入った次の年は東大が入学試験がなくなったような時代だったからね。そういう時代でかなり学生の頭の中は戦争状態みたいなもんだった訳だよ。その将来の日本に対してのもちろん不満みたいなものもあったし、このままの日本が続いていったらとんでもないっていう気持ちもあったから勉強するよりはもっと重要なことがあると思った訳だな。そういう学生生活してるともちろん物理の勉強なんてしてない訳だな。だけど、勉強やってるうちに、オイラーの公式みたいな、魅かれるものがあって、やっぱり物理やりたいなと思って、大学院行って勉強しようと思った訳だ。それで結局大学には五年行ったんだ。四年の卒業の時に、勉強してないから当然大学院受かんない訳だよ。それで次の年に、実験の講座で光物性っていうのをやってたんだけど、はっきり言って好きじゃなかった。固体の中の電子の状態がどんなんなってるかなんてちっとも面白くなかったんだ。素粒子の世界には憧れがあったんだな。それで、名古屋大学の坂田正一っていう日本では当時結構有名な人がいてその人に憧れて、その研究室に行った。 僕らの時に根底にあったのは湯川先生で、僕が生まれたのが1949年で、湯川秀樹がノーベル賞もらったのが1959年。その後朝永さんが60年代にもらうんだよね。国民的なインパクトがものすごく強くって、将来はノーベル賞とれっておじいさんおばあさんに言われるようなそういう時代だった訳だよ。それで、それに対する憧れがあった訳だよ。湯川さんのようになりたいとか朝永さんのようなことがしたいっていうのが無意識のうちにあった訳だよ。だから、勉強やって、友達より成績いいかなとか、俺の方がわかってるなって思うとやっぱりそっちの方に行きたくなって、それで、一年間余分に勉強したら、意外に問題が解けていったりして、そうするとやっぱり行きたくなってくる訳だよ。 理論と実験のもうひとつの違いっていうのは、理論に行くためには成績よくなくっちゃいけない訳だな。理論と実験って言うと、理論の方がどうしたって席次がいい方が入ってくる。だから、理論に入っていくには成績よくないといけないし、もちろん成績よくたって実験に行くやつはたくさんいる訳だけども、そこで理論の方にたまたまいけたら嬉しい訳だよ。 そうして希望がかなって大学院に入って時間が経ったって訳だな。

     このまま物理をやっていては自分には将来性はないなって思ったことはないですか。

そういうことは、俺らの場合にはない訳だな。冷静に考えたらリスキーなことやってる訳だよ。俺らの時代じゃ就職なんて全くない訳。俺が大学院の五年の間、大きな大学で助手なんてひとつもなかった訳。唯一の道としてアメリカに行けばよかったんだよ。アメリカ行きたかったからね。でも、院出るころにはアメリカも景気悪くなっちゃったから、もう行くとこない訳よ。だから、そういうこと考えてたら、こんなことできないよね、怖くてしょうがない。つまり馬鹿なんだよ、全然世の中のこと考えないばか者なんだよ。今のここの研究室の学生だってよその人に比べたら考えてない。そういうと大げさだけど、やっぱり考えてないね。ほんと面白いからやってるだけで、それでいい訳、僕らから言わせれば。でも大学院だけだね、そうやって生きてられえるのは。 ほんとは大学に残りたい訳だね、どんどん続けたいから、でも困ったことに今就職がない訳。だからうちも悲惨っていや悲惨だけど、ここ十年ぐらい大きな大学の講師としてついた人はいない訳よ。そういう人達は、会社にいって、もちろんドクター持っていく訳だから、比較的我々のような能力持った人は重宝されるんだな。あまり色々考えずにピュアだから、例えばこういうとこに問題があるんじゃないかって言われたら、ずーと突っ込んでやるから、また自分で考える能力って言うのは持ってるから、比較的会社に入っても使える。頭の切り替えの問題で、ちょっと普通の人よりも遅いけど、各自こだわって就職はすぐにはできないからに三年はがんばるんだけど、奨学金みたいに、日本学術振興会っていうとこから月々二十万ぐらいもらえてるから、つまりこれはフリーターという訳でもない訳ね。論文さえ書けばもらえる訳ね。まあ全員がもらえる訳じゃないけど、そういうのをもらいながら、別の研究所に行ったり、外国にいったり、そうやって何年かはやるけど、結局駄目だなと思った時には、そこから切り替えて会社に行く。 去年も僕と一緒にやってた学生が藤井総研て言うシンクタンクに行ったけど、 嬉々としてやってるな。それなりに面白いことがあるんだろうね。問題の設定の仕方が違うだけで。 物理でも最初のうちはこれが面白いと思って、どんどん深まっていけば細かいこと考えている訳だよ。あるひとつの式についてあるいはあるひとつの目的についてね。それについていろんな角度から考えていく。そういう問題を解くための方法論って言うのは、会社の中でソフトのこういうとこで使えるようなプログラム書いてくれっていうような時に使える訳だ。問題は全く違っていても方法論っていうのは全く生きる訳だよ。だから面白いと思ってやれば何の問題もないと思うよ。それは考え方の問題で物理で駄目だったから俺はもう駄目だっていうのではなく。思っちゃう人もいるかもしれないけどもそう思わないでいって成功してる人も多いからだから多分そうだと思うんだよ。三十歳ぐらいで今までやってきたことを変えてやっても、そこで自分がやってきたことを無駄だったと落ち込むより新しいとこでなんか面白いこと見つけてやろうというのがいいと思う。 東大や京大の方が大学院生が多いし、たくさん優秀な人が集まるから就職する割合が我々の所より高いかっていうとそうでもない。東大京大の人が全部成功している訳でもない。

     アメリカとかの大学院に行くことは勧めますか?

厳しいね。英語がある程度必要だし、物理の能力はあんまり変わらないから。 英語が一番問題だね。それをクリアできる人は別に問題ない。お金もかかる訳だし。向こうにいったからメリットがあるかと言うと必ずしも今はそうではない。アメリカ行って大学院出て就職できるまで何年かかるか分からない訳よ。 でも憧れがある人は行った方がいいだろうな。親元から大学院に通った方が落ち着く人はそうした方がいいし。

     理論系の大学院生は普段どんなこと具体的にやっているんですか?

マスター一年だったら一週間に一回ゼミをやって、そのための勉強を毎日来て、一週間かけてやる訳だな。ゼミは三年生のゼミみたいなもんで英語の教科書を一回に十頁くらいをほとんど一週間かかってやる。勉強するためには色々本を読まないといけないからね。 それと午前中は講義がある。 そして二年になったら、個別のテーマで修士論文書かなきゃいけない。今頃は最後の追い込みで書いてる訳なんだけども、それは自分が面白いと思ったテーマをかなり深く勉強して発表する。   ドクター行けば、マスター論文でやったことか、または色々違うことを、自分の面白いと思っていることを深めていくということをやる。それはもう仕事だからなんでも自分でやる。 人からやれって言われることもあるね。例えば僕が院生に何かを任せることもある。そういう人は「お前あれどうなった」って聞かれるから聞かれる前に自分でやっておく。そういうプレッシャーはあるね。 そのほかは、ホームページ見たりして遊んでる。とにかくほとんどを大学で生活してるんじゃないかな。寝に帰るぐらいで。多分実験の人達も一緒だよ。何もやりたくない時はパソコン眺めてさ。

     日曜とかも学校に来るんですか?

そうでもない。人によるね。それぞれ自分の生活は持ってるからね。どっか遊びに行くかもしれないし、彼女とデート行ってるやつもいるかもしれない。そこまでは俺は何してるか知らない。 だけど平日はまあ来てるな。朝から来てるやつもいれば、夜から朝までやってるやつもいるな。

     大学生の時に物理に感動して物理に来たとおっしゃいましたけど、その感動はずっと続きますか?

続くね。ある意味ではしょっちゅう感動してるよ。この年でも「やったー」とか「こ―りゃすげー」と思ったり、興奮して興奮しまくれるって。そういうことができるって僕は非常に幸せだと思ってるけどね。 まあ錯覚なんだけどな。この計算ができて「これは凄い、最高だ」と思っても、頭冷やしてもう一度考えると別にたいしたことないなとかさ。たいていは上手くいかなかったりしてさ。それはもうしょっちゅうだよ。逆にそれがないとやっていけないよ。 頭の中でこうやってこうやってとか考えて、何か上手くいきそうだとかこれでできるとか思ってそれでがんがんやっていくとやっぱり駄目なのが分かってがっかりする。その繰り返しだね。まあ実際できたらそれこそノーベル賞もらって、アメリカいる子供に国際電話かけて「父さん明日ノーベル賞だよ。やったよ。」って言ったりしてさ。 そういうインパクトっていうのは多分生きてる上でどんな仕事してても大なり小なりあるはずなんだよね。それがないととてもやっていけないというかさ。 多くの人達はそういうインパクトが少なくて、仕事はお金稼ぐための手段だろうね。まあそれほど面白くはないけどやらないといけないからやってて、それでストレスがたまってくれば、発散に土日に旅行行くとか。 そういう意味ではこういうことやってて幸せなのは、仕事が趣味みたいなものでストレス解消もなにもかも一緒ってことだな。物理以外の仕事の人からはお前のやってるみたいな仕事は最高だとか言われる。趣味イコール仕事みたいなもんだろ。恵まれてるよな。 だけども素粒子やってて会社に行った人がつまらなくしてるかっていうとそんなことないもんな。やっぱり嬉々としてやっとるわ。問題の設定の違いだけで面白いことやってるんだよ。高校の数学みたいに与えられた問題だって解けたら嬉しい訳じゃない。自分で問題設定して、なおかつそれの答えを見つける嬉しさ知っちゃうとさ、物理だけの問題じゃなくて生きていく上でのエネルギーになるよね。

     ゼミでは英語のテキストを使うとおっしゃったんですけどそれはわざわざ英語を選ぶんですか?

そっちの方のファクターも多いな。英語で読んだ経験があまりない人が実際多いからね。 今英語って言うのは、インターネット見ればわかるけど普通のオーディナリライフになっちゃう。要するにグローバル感覚なんだよ。英語を読んで理解して話すというのがベーシックだと思う。これは僕の考えで、そう思っていない人もたくさんいるけど、僕はそう思っているからわざと英語のテキストをやってる。今はある程度英語を求められるからね。 まあ昔はいい教科書は英語でしかなくて日本語には訳されてなかったからそれを読むしかなかったんだけどね。今はいい教科書もいっぱい出てるから必ずしも英語でやらないと行けない理由はないね。

     修士論文は英語で書くんですか?

英語の人もいれば日本語の人もいるな。英語だって言ってもな、アルハベットで書いてるだけなんだけどな。 添削してやるのが大変だから、マスター論文なんかさ、 こっちの仕事が増えるからできれば日本語で書いてもらうということになると思う。 だけどみんなに見てもらうためには英語で書かないといけないからね。今ほとんどインターネットで見れるように論文書いて出せば、そこからダウンロードしてみることができるようにしてある。 英語以外で書いてる論文は今は、もうほとんどないんじゃないかな。日本国内だけっていうか、そのぐらいの分野でならあるかもしれない。だけど情報開示じゃいけど、見ようと思う人には誰でも見てもらって、いいものか悪いものなのか判断してもらう。自分たちしか読めないような言葉で書いていては駄目だな。

     論文の発表会は日本では英語で発表するんですか?

日本国内では日本語だよ。ここの研究室に外国人の留学生が来てた時は全部英語でしたけどな。かわいそうだからね。彼はわかんない訳だから。一人のためにするっていうのはまた色々議論はあるけれども、とにかく彼がいる間は英語ですることに決めた訳だ。今でもここではセミナーの最初のこれから何を話すかを五分間何でも英語でやることをここのルールにしてる。 論文を書いたからってみんなが読んでくれるとは限らないし、さらにその中から有名な雑誌に載せる価値があると思われないといけない。 論文を書いてそれをWebなんかで発表することは誰でもできて、一日に数十本の論文が発表されて、それに番号が順についていく。 その中で雑誌に載るのは一割とか2割とかで、さらにそういうざっしに載った論文の中のまた何十分の一かだけがほんとにいい論文だって有名になって、最後にはノーベル賞になる訳だな。 自分の論文を外国の人に知ってもらうためには英語で書かなきゃなんない。それは言葉の問題だからそりゃしょうがないことだよ。   

     最後に学生になんか一言

物理を好きな人には何も言うことはないね。 好きじゃなくて物理学科に来てる人もいる訳で、例えば物理なんか好きじゃないけど高校の先生に言われたからとか、ここしか行けないから来てるとか。 モチベーションがそもそも物理じゃない人が絶対いると思うんだ。僕は君たちの担任やっているから分かるけど、嫌嫌ながら物理やっている人が実際にいる訳だ。そういう意味で少し時代が変わってきてる。 ニュートン祭自体、基本的には物理好きでやってる人のためにやってるから物理好きじゃない人には面白くないだろうね。 そういう人がニュートン祭をきっかけに物理を好きになってもらう企画を作るべきじゃないかな。 僕は物理学科の物理が好きな一般の学生には何も言うことはない。自分たちのやりたいことやっていけばいいと思う。

     ありがとうございました。


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