Original grail  



 それは、不思議な光景だった。

「!?」
 
 凛は、かざしていた手を下ろす。
 バーサーカーの腹部が、ぽっかりと穴をあけている。空洞になっていた。そこに本来収まっているはずの肉はなく、のぞけば向こう側が見えた。
 あれほど宝具の連発に耐え、幾度も死の淵から蘇ってきた鋼鉄の肉体が、再生する兆しもなく、抗いようのない滅びを受け入れていた。
 もはや神の加護はないのか。巨人はそれでも立ち続けている。だが、魂すでになく、ただ朽ちた体がそこにあるだけ。
 イリヤがビクンと震えた。

「そんな、バーサーカー、嘘、何で、こんな」

 そのイリヤの声を末期にして、バーサーカーはゆっくりと膝を折った。地響きをたて、巨体が床に崩れ落ちる。
 ドゥッと。重たい音をさせて。

Original grail

        episode8:再び、衛宮士郎


 − バーサーカーは強いね −

 それは最強を誇った勇者にしては、あまりに唐突で、だからこそ疑いようのない死だった。

「いやだ、バーサーカー、私を置いてかないで、起きてよバーサーカー・・・どこ、どこにいるのバーサーカー・・・!」
 
 イリヤはまだその死を信じられないのか、倒れたバーサーカーへ必死に呼びかけている。
 ふと気づけば、その目は焦点が合っていない。瞳は白く濁り、何もないはずの空間を手で探りながら、かぼそくバーサーカーを呼び続けている。

「来てよぅ、バーサーカー・・・ッ!」

 足元もわからないのか。小さな瓦礫につまづいて、イリヤは倒れ、そのまま声は途切れた。気を失ったのか、それとも。イリヤは動かない。
 凛はその光景を、異様なものを見る思いでいたが、

「・・・ここで来たか衛宮士郎」

 言峰の言葉に現実へと戻された。
 陶酔しきった声で、神父は一点を見据えている。
 凛がその視線の先を追うと、

「ライダー・・・衛宮くん・・・!」

 ひるがえる紫と、寄り添って立つ炎のごとき赤。
 それはまさしくサーヴァント、ライダー。真名をメデューサ。
 それはまさしく、衛宮士郎。見慣れぬロングコートを着込んでいるが、間違いない。
 十字架の下に立ちながら、士郎とライダーはただ無言で、どこか悲しげだった。裁かれるのを待つ咎人のように。
 バーサーカーを葬った光、確かに見覚えがある。校舎で見た。あれはライダーの宝具だ。

「やはりお前が勝ち上がったか衛宮士郎。セイバーのマスターだったお前がライダーのマスターとして復活する。そうだ、これこそ元の形の聖杯戦争だ」

 はしゃいでいる。この神父が。
 凛は薄気味悪く、言峰を見た。長い付き合いだが、初めて見た。この男が感情を動かすなど。人として当然のことが、この男にはひどく似合わなかった。
 その言峰を押しのけるようにして、凛は声を上げた。

「衛宮くん。どういうつもり?」

 士郎は無言だった。いや、無言というよりこれは、凛の言葉を聞いていない。

「・・・衛宮くん。自分のしてることがわかってるの? というか、ライダーが何であなたと、ん、それは置いておくとして」

 凛は自分でも混乱したように、

「あー、アンタ! 聖杯戦争降りたんじゃなかったの? それとも私を勝たせるって約束、果たす気あるわけ? それなら、後は衛宮くんがライダーを下げてくれれば、残りは私のアーチャーだけ。聖杯戦争は私の勝利ってことになるけど・・・」

 凛はキッとにらみつけた。

「そういうつもりじゃないわよね?」

 士郎はなおも無言だった。言葉全てを吸い込むような沈黙。まるで、言葉の存在自体を否定するかのような沈黙に、凛は続けて何かを言おうとして、言えなくなってしまった。
 横顔は削り取ったように厳しい。これがあの衛宮士郎だろうか。あのお人好しで、変なところ強情で物わかりが悪くて、でも、とても優しく微笑む、あの・・・。

「当然です。アーチャーのマスター」

 答えたのは、傍らのライダーだった。

「私と士郎は聖杯戦争を勝ち抜くために契約を結んだ。無論、あなたとてその障害に過ぎない」
「・・・知らないわけないわよね? あんたの元のマスター。桜を殺したのは私と士郎・・・今のあんたのマスターなんだけど」

 ライダーは黙った。凛の言葉に動じたわけではないようだった。

「・・・全ては聖杯を手にするまでのこと」

 凛は目を見開いた。ライダーが何を言おうとしているのか、分かった。ライダーが、士郎を殺さなかった理由も。

「まさか、アンタ」
「私には元々、聖杯を手にして叶えたい願いなど持っていなかった。けれど今はある。一つ、聖杯でしか叶えられない望みが」
「桜を、聖杯で蘇らせるつもりね・・・」

 − 桜の蘇生、あるいは新生 −

 聖杯はあらゆる願いを叶える。死者の復活さえその範疇だろう。
 人智では及ばぬ奇跡を行使する。確かにそのための聖杯戦争だ。そのためのサーヴァントだ。だが。

「士郎、アンタそれで良いわけ!?」

 凛は怒りに震えていた。どうしようもなく腹が立っていた。

「桜を死なせて、それでまた生き返らせて、人の命を自分の都合でやり取りするなんて、そんなのアンタのやり方じゃないでしょ!? 何トチ狂ってんのよ!」

 衛宮士郎が聖杯に頼るなんて、見たくなかった。
 たとえ手の届かないほど遠い望みでも、自分の力で立ち向かっていく。届くまで何度でも。永遠に届かないかもしれない。そんな願いでも、諦めずに。
 それが衛宮士郎。だから、どんな馬鹿なことを言い出しても、最後には凛が折れた。
 だから、好きだった。

「どうでもいい」

 士郎はぽつっと。

「オレはね・・・遠坂。正義の味方になりたかった。親父みたいに、切嗣みたいになりたくて、ずっと頑張ってきた。ずっと、親父に拾われてからずっとだ」
「なら、貫きなさいよ最後まで!」
「・・・けど、ホントはどうでも良かったんだそんなこと。オレは親父が大好きだった。だから親父の跡を嗣いでやりたかった。ただ大好きな人がいて、その大切なものを守りたかっただけなんだ」

 だから、セイバーと共に戦う決意をした。聖杯も、願いもどうでもよかった。セイバーが、本当に綺麗だったから、憧れたから、それだけで戦えた。

「正義も悪も知ったことか。オレは桜に、もう一度会いたい。会って今度こそオレが守る。そうさ、今度こそ普通の体をあげて、オレが、邪魔させない。遠坂。お前にも邪魔させない・・・!」

 士郎の言葉はもはや支離滅裂だった。一見、顔は涼しげに見える。目も正気を映し、澄み渡っている。しかし、だからこそ。
 
「・・・終わったな、衛宮士郎」

 苦々しい顔でいるのはアーチャー、つまりエミヤ。
 衛宮士郎は、彼の知るそれとは大きく変わり果てている。今さら士郎を殺したところで、エミヤの身には露ほどの変化も起きないだろう。これはもはや、衛宮士郎としては終わった存在だ。
 だが殺す。今度は逆恨みでも八つ当たりでもない。凛のサーヴァントとして敵を倒す。アーチャーとして、エミヤは凛の前に立った。

「なまじ悪意を持たない分、臓硯より始末に悪い。凛、協力関係は忘れろ。こやつ、ただのマスターだ」
「ええ、どうやら話の通じる相手じゃなくなったみたいね」

 互いの緊張が高まっていくその中で、

「・・・まだお前は切嗣ではないのか」

 言峰は、ひどくつまらなそうに言った。

「残念だが衛宮士郎。お前の望みは聖杯に届かん。間桐桜に新たな肉体を与え蘇らせるなど、今の聖杯には不可能だろう」
「なに・・・?」

 士郎はぴくりと眉を動かした。

「屋敷に、衛宮切嗣の残したものが何かしらあったはずだ。お前の父は前回の聖杯戦争にセイバーを伴い参戦し、最後の一人にまで勝ち残った。しかし、最後に切嗣は聖杯を手中にするどころか自らの手で破壊している。奴が正義の味方を自認する以上、それは必然の結果だった」
「・・・続きを早く言え」
「ギルガメッシュ。奴はその時、破壊された聖杯の中身を浴び、あのように狂った。聖杯の中身は、英霊を単なる快楽殺人者に貶めたということだ。そんなものがどうして真っ当な願望機になろう?」
「士郎。この男を信用してはいけません。この者の腹の底には毒が」
「黙っていろライダー」

 士郎はライダーを押しとどめ、

「もし、桜を蘇らせようとすれば。生き返った桜も、狂うのか?」
「狂うだけで済むかな? 間桐桜は臓硯の手によって、マキリ製の聖杯にされていた。そこのアインツベルンの娘と同じようにな。『聖杯に呼び出された聖杯』という二律背反が起きれば、確実に魔力のオーバーロードが起きる。サーヴァント七人分の魔力が暴走すれば、この街ぐらい楽に吹き飛ぶぞ」

 つまり、桜は戻らず、人は死ぬ。

「まさか・・・」
「疑うか? 薄々気づいていることだろう。この世にそんな都合のいい奇跡などないと」
 二人のやり取りに、ライダーは苛立ったようだ。

「士郎。あなたは聖杯で桜を呼び戻すと誓った。それがこの契約です。この男に騙されて、反故にするつもりですか」

 ライダーは士郎をうかがい見た。ライダー。バイザーの下、その瞳にうつる感情はわからない。
 しかしそのライダーこそ、士郎の心を測りかねているように思われた。
 士郎は瞬きすらせず言峰を見やり、やがて視線を外し、

「・・・どのみち、聖杯を手にすればわかることだ」

 言い捨てると、士郎は倒れたままでいるイリヤを目指した。イリヤに意識はない。抵抗なく士郎の腕に中に入り、抱き上げられる。
 その士郎に、

「今の話を聞いて、なお聖杯の器を欲するか。度し難いな。凛、こいつを止めるには殺す他ないようだぞ」
「・・・そうね、今の話。綺礼のことだからまるっきりホントってわけじゃなさそうだけど・・・衛宮君。今のアンタに聖杯は渡せない」

 アーチャーと凛が、立ちはだかった。。
 またも投影か、アーチャーの右手には、湾曲した刃を持つ曲刀がある。士郎は一目でその正体を看破した。
 
「ハルペー、メデューサ殺しの宝具か」
「ああ、蛇にはこれが最も効く。マスターは変わったが・・・ライダー。前回の決着がまだだったな」
「懲りない男ですね、アーチャー。あなたに勝利が来るとでも?」

 ジャラリと鎖が鳴る。ライダーがその短剣を握った音だ。共に、戦意は充分。

「士郎、私がハルペーに敗れたのは、相手が英雄ペルセウスでのこと。名も知れぬ英霊が形ばかり真似たところで、私の首には届きません。命令を一言。『殺せ』と」

 ライダーには絶対の自信があるようだった。しかしそのライダーへ、士郎はかぶりをふった。

「いや、ここは引く」
「士郎!? 見えないのですか、相手は満身創痍です。今なら撃破は容易い」

 確かに、アーチャーはギルガメッシュの宝具を受けた。耐えたとはいえその肉体は大きく傷つき、連戦によって魔力は底を尽きかけている。力の絶頂を満月とすれば、今のアーチャーは三日月にも及ぶまい。好機、と見える。

「いやライダー。お前もすでに宝具を二発撃った。戦うには適していない。イリヤは手に入ったんだ。引き上げ時だ」
「しかし・・・」
「黙れ。と、さっきも言ったはずだ」

 士郎はライダーを、一片の暖かみもない目で睨めた。

「これ以上抗うなら令呪を使う。撤退に従え」
「・・・了解しました」

 ライダーはうなだれ、剣を下げた。この両者にあるのは、信頼ではなく支配と服従だけだった。

「逃げる気か?」
「ああ」
「私の消耗を知った上で逃げるか。とんだ腰抜けだな。もっとも、前からそれは知れていたか。お前のような者がマスターで、セイバーもさぞ苦労しただろう」

 アーチャーの挑発にも、士郎が動じた様子はない。懐から一本のナイフを取り出すと、
「は!?」

 凛が目をむいたのも無理はない。士郎は自らのサーヴァントであるライダーの首めがけ、斬りつけたのだ。が、傷口から吹き出た鮮血に、アーチャーは叫んだ。

「違う、凛、伏せろ! 宝具を出すつもりだ!」

 血しぶきは弧を描き、一頭の白馬へと姿を変える。

「士郎、捕まってください!」

 ライダーはあっと言う間に馬上。その身に白光を立ち上らせ、真名を解き放つ。

「ベルレファーン!」
「ぐっ!」

 バーサーカーの時と同じ、まばゆいばかりの光が視界を覆い尽くす。逃げられる、と思ってもどうしようもなかった。アーチャーに押し倒され、凛は瓦礫にうずくまった。
 頭上に響く轟音が、やがて遠ざかっていく。士郎が、遠ざかっていく。

「・・・行った?」

 凛が身を起こすと、天井の大穴と引き替えにライダー、士郎、そしてイリヤの姿は消えていた。どこへ去ったか。どのみち、今からでは追えそうにない。
 アーチャーはすでに立ち上がっており、やや憮然とした顔つきで、

「・・・あの宝具がある限り、ライダーをどこまで追いつめても離脱される。厄介だな。アレばかりは私も真似できん」

 凛は、大穴から光差し込む天井に、思わず周囲を眺め回した。バーサーカー、アーチャー、過去のアーチャー、ライダーと、合計四体のサーヴァントの宝具合戦だ。教会はいたるところが崩れ、廃墟も同然だった。
 これでは人は住めそうにないとまで考えて、不意にもう一人、いるはずの人物を思い出した。この教会の主を。

「そういえば綺礼! アイツいない!」

 アーチャーが弾かれたように辺りを見渡した。確かに見当たらない。瓦礫の下に隠れているかとも思ったが、言峰だ。そう姑息な真似はしまい。騒ぎに乗じ、姿をくらませたに違いなかった。

「すまん。ライダーに気を取られ過ぎていた。私の失敗だ」
「私もおんなじよ。どっちのミスってことはないわ。ま、今度という今度は、アイツの悪巧みの種も尽きたでしょ。いいわ、ほっといて」

 凛はスカートの汚れをはらった。ずいぶんと埃も浴びた。家に帰ってゆっくり風呂に浸かりたい気分だった。

「宝具を二回使ったって言ってたわよね。バーサーカーへの止めで一回だとして、後一回どこで使ったのかしら」
「わからん。今わかるのは三つだ。一つは、衛宮士郎の言葉を信じるならだが、ライダーの宝具は三度使えること。二つ目は、そのライダーが敵ということ」
「もう一つは?」

 アーチャーは噛み砕くように言った。

「私かライダー。あと一人、倒れるまでが聖杯戦争だ」

 凛はつい呆けてしまった。終わる。聖杯戦争が。分かっていたこととはいえ。
 無意識に右腕をさする。服の下に隠れた魔術刻印を、さする。
 聖杯を手にして、私は何を願うつもりなのだろう。
 

 バァアン!
 ドアが蹴破られ、事務机と椅子の並んだ部屋が露わになる。どこか会社の一室に見える。人の姿はない。夜の闇と冷たい空気だけが部屋の住人だった。
 ここは新都にあるビルの一室。以前の集団昏睡事件の現場だった。今は警察の手によって閉鎖され、警備すら来ない場所になっている。
 
「・・・さすがに電気はつけられないか」

 士郎の声だ。士郎は、抱えていたイリヤをゆっくり床へと横たえる。イリヤは眠っているように見えた。
 イリヤは聖杯の器だ。聖杯戦争に召還されたサーヴァントが死ねば、その魂はイリヤへと流れ込む。すでにギルガメッシュを含め、五体のサーヴァントの魂を受け止めたイリヤは、容量として限界。余分な機能をカットすることによって、その器の崩壊を避けていた。
 聖杯の器にとって、余分な機能とは、すなわち人としての機能。今のイリヤは視覚を絶たれ、他の五感もほとんど麻痺に近い。現在の仮死状態は、むしろ体の防衛本能が働いてのことだった。やがて目覚めたとしても、続くアーチャーかライダーの死が、彼女の体をむしばみ、彼女の「彼女」をなくしていく。
 サーヴァントが最後の一体になった時、イリヤは完璧な聖杯となるのだろう。

「ライダー、入れ」

 士郎が後ろへ振り返ると、転げるようにライダーが部屋の中へ倒れ込む。

「・・・っ、ハァ、うっ・・・」

 ライダーの息が荒い。熱病に冒されたように、呼吸は浅く、苦しげに乱れていた。

「し、士郎、魔力が足りません・・・このままでは、ハァ・・・!」

 日に三度の宝具は無謀だったか。力尽き、息も絶え絶えなライダーにも、士郎は顔色一つ変えなかった。その目はただ、「使えない奴」と言っている。

「お願いします。ラインからの魔力供給だけでは現界が保てません・・・士郎の魔力を、直接私に・・・」

 こころなしか、ライダーの「存在」が薄れている。士郎はチラリとイリヤを見た。イリヤの起きる気配はない。切嗣譲りのロングコートを脱ぎ、イリヤの上へとかけた。

「士ろ・・・ォ・・・」

 ライダーはついに言葉すら発さなくなった。もうしばらく放置すれば、ライダーは消え失せるだろう。
 だからこれも、やむをえないことなのだ。

「・・・」

 士郎はベルトを外し、ライダーへ覆い被さっていった。


next grail...聖杯を賭けて


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