Original grail  


      
「三番、解放!」

 宝石魔術の発動が、臓硯の上半身を吹き飛ばした。まだだ。人間としての死が、臓硯に死を与えるとは思えない。サーヴァントと同じだ。その死を望むならば、分子すら残さぬこと。

「四番!」

 続くエネルギーの怒濤が残った下肢を粉みじんにして、ようやく凛は攻撃の手を止めた。
 臓硯らしきものは跡形もない。弱い。凛が魔術師として卓抜しているのも事実だが、臓硯は明らかに弱かった。
 かつて臓硯は言った。

「本来ならば、次の聖杯戦争に間に合えばいいと思っていた」
 
 これは虚勢だ。前回、十年前の聖杯戦争時にはまだ数年ごとの取り替えで持った体も、今は数ヶ月単位での交換を要する。腐敗の進行速度から言って、次回がまた十年後だとすれば、その頃には臓硯の肉体は数日も持つまい。そうなれば腐敗しきる前に誰かの肉体を奪い、また数日後には誰かを殺す。延々と繰り返されれば、誰もがその異常に気づこう。
 街に騒ぎが起これば冬木の管理者、遠坂が黙っていないし、度が過ぎれば代行者にも嗅ぎつけられる。。
 間桐はいつ終わっていたか。日本に根を下ろした時と言う者もいれば、それ以前に衰退の兆しはあったとも言う。が、こと今回の敗因を挙げるならば、校舎。慎二の暴走で桜を損なった時に、間桐は終わるより他なくなっていた。
 慎二を殺めたのはその腹いせに過ぎない。

「・・・」

 凛は、注意深く臓硯のいたあたりを睨めている。しばらく待ったが再生する気配はない。
 魔力の暴風が吹き荒れた後には、潰し損ねた虫が一匹、床にそのぬらぬらとした体液を吐き出しながら、うごめいているだけだった。
 この程度なら、貴重な宝石を使うまでもない。ガンドで充分だろうと、人差し指を向けると、

「とおさか・・・とおサかァ」

 虫が、しゃべった。

「臓硯、アンタまだ・・・」

 虫の一匹。蚯蚓によく似たその一匹が、臓硯だった。虫も使い切り、満足に形を為すことも出来ないのか。
 虫は声帯のかわりにその身を震わすことによって声を出し、

「頼むゥ・・・お主ガ勝者でかまわン! もはや抵抗はせン。だかラだ。見逃しテくれェ・・・!」
「そんな命乞い誰が・・・!」

 這いずる虫に圧されるように、凛は後ずさった。
 すでに人としての形も失いながら、

 − 死にたくない −

 その渇望だけが残っていた。それはただ単純に醜く、見る者に悪寒を催した。

「コの戦いガ終わるまでデいい! ワしは聖杯を見届けたイだけなのダ。間桐・遠坂・アインツベルンの悲願を、その祖としテ・・・ッ!」

 ズン!
 臓硯の虫を、黒い長靴が踏みつぶした。視線をあげれば、銀髪の赤き騎士。凛にとってのまさに騎士だ。

「戯れ言に耳を貸すな凛。この手の輩の言葉は毒も同じ。耳にしているだけで、いつしか害をなすものだ」

 アサシンの消滅を確認して来たのだろう。見慣れぬ長剣を手にしたアーチャーは、
 
「相手が相手でもある。亡霊になって祟られでもしたら厄介だ。その魂ごと消えてもらう」

 真名の解放と共に、アーチャーは長剣を床へ突き刺す。

「ジョワイユーズ (大帝の祝福)!」

 清浄なる光がアーチャーを中心に広がり、それは間桐邸のみならずその周囲を白光の中へ包み込んだ。光に触れた土地はただちに洗礼詠唱の百倍近いレベルの祝福を受け、半径数十メートルに存在する悪性の霊気は、全てプラスに転換され、その業を払われた。
 宝具ジョワイユーズ。大帝シャルルマーニュのこの愛剣は、柄に聖槍ロンギヌスの破片を埋め込まれたとされ、呪術・悪霊の類の一切を寄せ付けぬ祝福の聖剣。
 なおも復活を諦めきれず、怨霊化しつつあった臓硯の魂はジョワイユーズの発動により浄化。「ぎゃっ」という意識の叫びと共に、生への執着を絶たれた。散る間際、臓硯の脳裏に「ユスティーツァ」と浮かんだが、それが何を示すのかはわからぬままだった。

 

Original grail 

             episode: 名門

 


 光が止むと、間桐邸の様相は一変していた。戦闘で壊れた箇所はそのままだったし、どこがどう変わったと言うわけでもない。
 が、こと空気の質に関すれば、まるで違う。臓硯の支配を断ち切られた屋敷に魔力の痕跡はない。ただの品のいい洋館でしかない。それは同時に臓硯の存在を否定している。
 長剣を虚空に収め、アーチャーは立ち上がった。

「これでいい。臓硯は完全に消滅した・・・どうした凛?」

 凛の様子がおかしい。きょろきょろと視線をさまよわせ、

「・・・まだよ。まだ早いわ!」

 凛は突然、駆け出した。応接間を抜け、どこかへ飛び出していく。

「凛!?」

 と、慌ててアーチャーはその背を追う。階段を飛び降り、凛は地下に降りていた。
 地下の石室はアーチャーの浄化を受け、前回訪れた時の面影すらなかった。淫虫は浄化により跡形もなく消え失せ、虫の吐き出した赤黒い粘液は、澄んだ水と化し、石室の床を浸している。
 凛はその石室の中心で、呆然と立ちつくしていた。

「凛・・・」
「おかしいわ・・・どこにも臓硯の気配がない。屋敷から魔力が感じられない・・・」
「凛・・・落ち着け!」

 アーチャーの呼びかけに、凛は答えない。

「そうだアーチャー! すぐに臓硯を追わないと! 屋敷にいないってことは、また性懲りもなく誰かの体に寄生して逃げたに違いないわ。アサシンを失ったからって油断は・・・」
「凛!」

 褐色の手が彼女の肩を揺さぶった。

「臓硯は死んだ。消滅した。探す必要はないんだ」
「・・・嘘よ。間桐がこんな簡単に滅ぶなんて。なら、何のためにわたしは」

 服が濡れるのも構わず、凛はその場にへたり込んだ。口を半ば開き、がっくりとうなだれた姿に、以前の凛の面影はない。

『ああ・・・!』

 アーチャーはその肩から手を離すことも出来ぬまま、嘆息した。
 凛は、明らかにその精神へ変調を来していた。
 
 魔術師の使命は次の世代につなぐこと。自分の知り得た知識。培った技術。編み出した技。それらを己一人の業績にせず、次の世代へと受け継がせ、真理への到達を目指す。
 名門であればあるほどこの使命感は強く、その家系の結晶たる魔術刻印を受け継いだもの−つまり凛だ−には、絶対の義務としてそれがある。
 魔術師にとって、生きることは苦痛だ。
 修行の困難は言うに及ばず、世間との隔絶。魔術師と一般人とでは、友と言えども開けられない心の扉がある。それに魔術刻印は本来人の体に備わっていないもの、言ってしまえば異物だ。肉体は拒否反応を起こし、魔術刻印はそれに抗う。結果は耐え難いほどの激痛だ。
  魔術師にとって、生きることは苦痛だ。凛がどれほど天賦の才に恵まれようと、それは変わることがない。「いっそ腕を切り落とそうと思う」程の痛みに耐えて来たのは、凛が自らを「魔術師」だと思っていたからだ。
 一匹狼たることを是とし、弟子の士郎に何も受け継がせぬまま死した衛宮切嗣に激怒したのもそれがゆえ。
 省みて、言峰が全くの他人である桜の手術のためにその魔術刻印を失ったことが、どれほど異常なことかわかる。
 さほどに継承を重視する魔術師の家系にとって、最大のタブーは「滅亡」だ。
 凛はすでに末期にあったとはいえ、数百年続いた魔術師の家系を絶った。桜を手にかけたことにより生まれた自己矛盾が、それにより決定的となってしまった。
 間桐が強大ならまだ良かった。強敵を打倒した誇りが、彼女のヒビを埋めたろう。
 だが幕切れはあまりにあっけなく、加えて醜悪だった。凛はその最期に「遠坂」をも重ねて見てしまったのだ。
 自ら信じ、守ってきたもの。そのために多くの犠牲を払ってきたものの正体に、凛は錯乱しかかっていた。

「・・・」

 凛の昏い瞳は何も映していない。来し方と行く末の合間に浮かぶ小舟のごとく、ただゆらゆらと揺れるだけ。

「遠坂!」

 アーチャー、いや英霊エミヤは凛をきつく抱いた。
 強い彼女が好きだった。名の通りいつも凛として、正しいことを当然のごとくやってのけ、後ろは微塵も振り返らない。そんな彼女のことが、かけがえなく大切だった。
 ずっと昔から。こうなるもっと前、ただの同級生だった頃から。

「大丈夫だ遠坂。守るから。オレが絶対守るから!」
「アー・・・衛宮くん・・・?」

 凛は不思議そうにエミヤを見ている。
 その瞳に映っているのはアーチャーだろうか。それとも、衛宮士郎だろうか。どちらでもいい。

「帰ろう。オレ達の家に帰ろう。大丈夫だから。オレは遠坂の味方だから」
「・・・ばぁか。味方も何も、アーチャー。元からあんたはわたしの僕じゃないの。サーヴァントの癖に・・・」

 やっと、ぎこちなく微笑んでくれた凛にエミヤは、

『ああ・・・』

 と、再び嘆息した。自分が守護者になったことを、そしてこの時代にサーヴァントとして召還されたことを、初めて神に感謝したのだ。それは、自分と神、果てに人類を呪い続けてきたエミヤにとって、信じられないことであったが。

『この娘のために、オレはここまで来たのか・・・』

 答えは得た。英霊エミヤの存在意義は、遠坂凛だ。

 

next grail...策動するそれぞれ


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